退屈を「格別」な日常に

~日々の退屈にクスッと笑いたくなる小ネタと格別を~

何もない「無色」だからこそ

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皆さんこんにちはークロハですw
さて突然ですが、自分を色に例えると何色ですか?っていう「正解がない質問」といった「○○に例えると」という質問を面接やESなどで問われたとき、あなたはなんて答えますか?
ちなみにこの質問の意図は「本音」「イデア」「発想力」「着眼点」「瞬発力」などを試しているといわれています。
そんな「正解のない質問」の中には「自分を色で例えると」という質問を聞くことがあります。「」っていうといろんな色がありますよね。12色の色相環が何色の明度がどの程度でってそんな詳しいところまでは求めてもいません。
ただ私にとってこの「色」ってその人を象徴する「個性」でもあるように思えますね。
学校教育の場でも「個性を重んじる」なんて豪語していますが、重んじてないじゃあないかという盛大な矛盾。個性潰しが甚だしいですよね。
誰しも「異端」「普通じゃない」っていったような「違い」があるだけで腫れもの扱いする悪しき習慣があるせいで、その人らしさである「個性」をつぶしていると考えられます。
そして気づけばみんな無個性、無色の量産型。誰の目にも止まらない影の薄い存在へとなりはて細々と生きていて楽しいですか?
いやいや! そんなの全然! 面白味がないじゃあないですか。
逆にいえば、「無色」、「無個性」だからこそ、どんな色にでも染まることができるんじゃあないかなって思います。
一度失った、潰されてしまった「個性」を! 「色」を取り戻そうじゃあないですか!!
でも日本にはこんな風習がありますよね~
出る杭は打たれる
っていう「協調性を大切にしろ~」と常に横一列でいることを教え込まれるあれです。この段階で「個性潰し」色でいうと「脱色」が始まっているんですね。おぉ~こわっ!!
確かに「協調性」は大事ですよ。しかし、それぞれの個性、色
一本の紐としましょう。それぞれの「紐」が交じり合い絡み合えば、それは一枚の綺麗な「布」になりませんか?
主張が激しい色と地味な色とが絡み合っても、それはそれで味わい深い布となります。
「目立つこと」=「悪いこと」ではないのです。
目立つこと」こそ、周りから頭一個分ずば抜けた個性の塊として第三者の視点からは印象深く残るのです。
ただしここではき違えていけなのは「目立つこと」とは決して「見た目」ではなく、「目立つ能力」を言います。
つまり、これが「個性」です。

ただ指をくわえて眺めているだけでは、何も起こるわけもなく、あなたが持つ「個性」が輝くこともありません。
何もしないのは「無個性」と同じです
人は初めて何かに挑戦しようと動き出したとき、「個性」が輝きだし、「自分」というものの「」が生まれます
色が生まれたら、あとはまっすぐ道を切り開いて進むだけです。進んできた道には、あなたの色が塗られて灰色だった世界にどんどん色がついていきます。

最終的に言いたいことは、第三者からの評価なんて気にすることなく、「自分らしさ」をドドンッ!!と貫いてこそ、「あなた」という「色」が滲み出て、世界を色付けていくものと思います。
ないものねだりしても、みじめなだけです。
ないならないで、つかみ取りに行きましょう!!
人間、初めて行動に移したとき、「無色」だった「個性」に「色」が付くのですから。
人生80年。
その道のりは果てしなく永いのですから、自分の個性を押し殺すのではなく、前面に押し出してください。

私自身もまた、無個性、量産型でした。
しかし、こうやってやりたいことを口に出して、入念な準備をしてきて、今こうして表舞台に立っています。
誰からも必要とされていないなんて思わず、やりたいこと、貫きたいことをドドンッ!とやり切って、無個性を個性にしてやりましょうw
ともかく、自分らしさを絶対に見失うことなかれ!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次回w

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